青山病院と古代史?

 わが青山病院は、古代史好きの方にはたまらないほど魅力的な地域に立地しています。

そもそも青山というのは地名から名付けられました。

この地域一帯は、「古市大溝(ふるいちおおみぞ)」という遺跡の跡です。
ここは古代の「青山緑地」にあたります。

そして病院のすぐそばには「青山古墳」があります。

青山古墳


また屋上から周辺景色を眺めると、たくさんの緑と古墳群、それに生駒山系と葛城山系の両方の山並が見渡せます。

その一角に、かの有名な二上山が見えるのです。

二上山




古代史好きの方はよくご存じだと思いますが 、二上山は「大津皇子(おおつのみこ)」が埋葬されたお山です。



そして大津皇子の姉の「大伯(おおく)皇女」が

「うつそみの人なる我や 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)と我が見む
(生きてるとは言えない私・・・明日からは あなたが眠る二上山を あなただと思って眺める暮らしです・・・)と詠んだお山です。


こちらから見える二上山は、大伯皇女が眺めていたであろう大和地方から見る二上山とは、ちょうど正反対のかたちになります



歴史話のついでに・・・(わが藤井寺の地ではありませんが

大津皇子は、謀反の濡れ衣?を着せられ処刑されるときに辞世の句として「ももづたふ 盤余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠れなむ」(磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか)と詠みました。


(これらの背景・古代史については知る人ぞ知るなので、説明は省略します


そしてつい先ごろ、まさしくその歌に詠まれた「磐余の池(いわれのいけ)」日本書紀などに登場しながら所在地が分からなかった人工池です)の推定地が、
奈良県橿原市東池尻町の遺跡から池底跡が見つかり話題になりました。



磐余の池


上の写真の青色部分がその「磐余の池」だそうです。

そして赤色部分が、用明天皇(聖徳太子のお父さん)が湖畔の宮殿としていた磐余池辺双槻宮(いわれいけのべのなみつきのみや)があった場所だそうです。


わが青山病院から、遠い遠い万葉の古(いにしえ)の時代に、思いが馳せられたままを記しました。



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