北海道の旅

今年のゴールデンウィークは北海道へ行こう!

宗谷岬、奥尻島、礼文島に行こう!

車で行くべきか、舞鶴からフェリーで行くべきか、飛行機でレンタカーもある。

迷った挙句、某旅行会社のツアーで行くことに。

4泊5日で菱型の下半分を回る逆のコースにした。

一般的なコースなので行かれた方は多いと思います

修学旅行以来2度目になります。

 

1日目 新千歳空港→函館(湯の川温泉)  

 

有珠山

洞爺湖の南に位置する活火山。

何度も噴火を繰り返し洞爺湖、昭和新山を作りました。

最新の噴火は2001年で、このときは対策も出来ており安全管理意識が高く、一人も犠牲者を出していません。

 

 

函館の夜景 函館山からの眺望 

地形が他にないので一度見ると一生忘れない印象的な夜景です。

山頂は人でごった返し、長蛇の列が出来ています。

 

 

2日目 函館→松前→小樽→札幌→洞爺湖

 

函館元町の情緒あふれる洋館や教会の街並みを散策後、

桜満開の五稜郭へ。

 

 

五稜郭タワーからの眺望。

 

 

昨夜夜景を眺めた函館山です。

 

 

松前城(正式名は福山城)

 

 

 

北海道の人は春を待ちわびています。

私たちにとっては2度目の桜です。

八重が美しいー!

 

 

 

地元の人たちも多く、お花見に来ているようです。

私たちも桜の下で昼食あわび弁当をいただきました。

 

 

洞爺湖

ホテルの裏が洞爺湖。

花火が船で移動しながら20分間打ち上げられました。

 

 

3日目 洞爺湖→層雲峡 令和元年5月1日

 

昨夜泊まったホテルのロビーから洞爺湖の中島が見えます。

 

 

雄大な洞爺湖の景色を一望。

洞爺湖の中に浮かぶ4つの島。これも噴火でできたものです。

 

 

山の上の建物は、11年前開催された洞爺湖サミットの会場となったザ・ウインザーホテル洞爺です。

北海道で最上級のリゾートホテルです。

 

 

小樽

小樽も人がいっぱい。ノスタルジックな建物が並ぶ運河を散策。

ガラスの醤油差し専門店「さしすせそ」で小ぶりの醤油差しを一つ購入2600円。。

これです。早速使っています。

 

 

札幌 北海道神宮

改元の参拝者の列が出来ています。

桜と梅が同時に咲いています。大阪では見られない景色です。

 

層雲峡

道の駅で休憩、滝の見学などしながら層雲峡に到着。小雨。

温泉街と言っても散策向きではないので、ゆっくり温泉に浸かり、明日の為に早く就寝。

 

4日目 層雲峡→網走→知床→阿寒湖

 

鎖塚

網走に向かう車中から撮影。この写真では分かりづらいですが左の土を盛ったところが鎖塚。  

 

 

オシンコシンの滝

オシンコシンとはアイヌ語の「蝦夷松が群生するところ」という意味だそうです。

 

 

札幌で生まれ育ったバスガイドさんが、どこの何が美味しいと毎回教えてくれるので、SAや道の駅で必ず食べてみました。どれも本当においしい。さすがです。

知床でしか食べられないというこけもものソフトクリームです。

 

 

世界自然遺産の知床です。

雲がおおいかぶさってきました。

 

知床観光船『おーろら号』にて知床を海上から見学します。

ウトロ港からカムイワッカの滝までの往復1時間30分のコース。

オロンコ岩のトンネルをくぐって乗船場に。

 

 

 

 

 

楽しみにしていた木道散策ですが、この後、濃霧で何も見えず引き返す。

 

 

 

天に続く道 と話題になっています。

晴れていれば最高なのに…。

 

 

阿寒湖に着きました。雨です。

木彫り熊や小物のお店が並んでいます。

 

 

 

 

ホテルでチケットを購入しアイヌコタンの舞踊を観に行きました。徒歩数分のところにあります。

 

 

5日目 阿寒湖→釧路湿原→帯広空港  晴れ 強風。

 

神秘的な湖オンネトー

 

 

世界自然遺産釧路湿原

 

 

 

やちぼうず(谷地坊主)

 

 

道の駅「十勝清水」

 

 

帯広空港 黒川紀章の設計

 

 

 

さようなら〜 北の大地 また来るね〜

 

中学校の授業中、先生の脱線話で知って以来、北海道を思うときいつも真っ先に北海道の歴史・開拓使が頭に浮かんできます。

 

明治政府が原野が広がる未開の北の大地の開拓を急峻に推し進めた。

屯田兵や入植者が労働に携わり、想像を絶する苦難の連続。寒さ、食糧難、ヒグマなど厳しい自然を乗り越えて原野を切り拓き北海道の基礎を作った。

特に原始林に覆われた北部や東部の奥地に進むために切り拓かれた網走から旭川に向かう道。そこは凄惨を極めた。そこには網走・空知刑務所の囚人たちが使役され足に鎖を付けらたまま厳しい労働の末、多くの命が落とされた(300人ほど)。網走から旭川に向かう北見峠までの約180kmの道路を切り拓いた。 

機械を使わず一本一本人の手で木を伐り切り拓いていった。 

のちにこの道路は囚人道路と呼ばれた。

囚人の中には明治政府に反対する思想犯や政治犯もいた。また当時の事なので冤罪もあったのではないかと思います。

鎖塚についてネットで検索してみてください。

 

長い記事を読んでいただき有難うございました。

 

 

 

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